2007年08月31日

医学部の事情

奈良県で救急搬送された妊婦が,県内の数々の病院に受け入れられず,大阪高槻の病院まで搬送される途中,交通事故まで遭うという事態が発生した.
 
近年,医学部を出て診療科を選ぶ際,小児科と産婦人科は志望者が少なくなっているそうである.少子化で対象が少ないからかと思いきや,そうでもなく,実のところ仕事がキツい職場だからだそうである.言われてみれば子供は夜中に我慢しろといってもできない場合が多いだろうし,そもそも,我慢させることが良い結果にならないことも多いだろう.産科に至っては,鎮痛剤の処方といった対処療法だけ行って朝まで様子を見るというわけにもいかず,夜もおちおち寝られない仕事だからなのかもしれない.
 
しかし,,,そんなことをいうのなら,なんで医師を目指すのか,甚だ疑問である.そうやって志願者が減ると,限られた医師の負担はより多くなる.そして,他の希望者や配属者の多い診療科では,いわゆる医師過剰の状態が発生するだろう.都会の大病院に研修医が集中しているのも同じようなものだ.
 
ただ,今回の奈良県の例では,医師や病院側だけを責めるのは酷な気もする.事実関係が詳細になってくれば判明することと思うが,救急隊員や消防署サイドのシステムも見直していく課題が多くありそうである.
 
原因は,様々なところにあろうが,もっとも根本的な問題は,やはり医学部に入るべきでない人間が医学部に進学しすぎているというところにありそうである.最近の日本では,ちょっとした進学校で将来つきたい職業を聞くと「医者」という答えが多い.これだけ医学部志望者が多くいながら,医師の少ない現場や地方があるというのは,おかしなことがおこっているのである.
 
受験生などに「社会人として世の中に貢献するのは医師だけではなく,むしろ社会的には,理工系といった技術職があらゆる方面あわせて,もっとも人員を必要とされる.だからこそ,工学部を中心として,理学部・農学部を含めた定員は多いのである」と言っても,たいていは聞く耳持たず.問題なのは,この聞く耳持たずの態度であろう.医師しか眼中にないといえば格好は良いが,実のところ,他の職業にどういうものがあって,自分の適正に合うのか合わないのか,判断のついていない学生が多いのだろう.
 
もう少し社会のことや適正について,一般的な多くの学生が判断できるようになるのは,早くとも大学学部を終えたあたりであろう.大学院になっても自分の適正を判断できない者も多い時代である.高校生に自分が医師としてやっていけるかという問いを押し付けるのははっきり言って酷だろう.だが,現実のシステムはそれを押し付けているのである.まだ自分の適正や特技もはっきりいってわからず,教科書の字面だけを覚えることに専念している高校生に問うのだ,「さあ,医学部かそれ以外か選べ」と.これは答えろというほうが難しい.
 
やはり,日本のように幼い頃から受験戦争がはじまるシステムの国で,早いうちに将来の選択権を与えてしまうと,誤った道に進むものが増えてくるということではなかろうか.別に私はゆとり教育推進派でもなく,むしろ,今の教育はさぼらせすぎであると思っているが,受験勉強の負担が軽くなっているわけではないのは事実.ただし,小・中学校の無茶な受験戦争は少しあきれている.車もエンジンを掛けっぱなしではエンストを起こすのと同様,皆と遊びたい盛りから無理に抑制して勉強させすぎると,良い年になったときに逆に抑制が効かなくなることはあり得ると思う.
 
大学進学すると宣言した高校生にとっては,遊ぶことは認められず,勉強することが善とされる.そんな中で,社会の仕組みを学ぶなど無理であるし,はやく受験勉強から解放されたいと思うのは致し方なかろう.そうなると,できるだけ早くに進路の決定する医歯薬系というのは,免状も取れるし,深いことを考えずに済み,ラクな進路選択になるのであろう.
 
受験生の中にはこういうことを言う者もいた.「会社の社長とかになろうと思えば,大学を出てから何十年も苦労しなければならないが,医師なら卒業したら医師だ」と.これは資格というものをおおいに誤解した,たわごとと言えるだろう.人より偉くなりたいが,苦労はしたくないという手前勝手な話.逆にいえば,社長とか医師とかいった肩書きの名前程度しか世の中のことを知らないといっているようなものである.肩書きというのは,自分の努力した 成果として成立するものである.努力の個人差はあれど,空から降ってくるものではない.
 
とにかく,医学部の制度というものは改めて考えるべきステージに立っていると思われる.
 
研究サイドの話では,大学院重点化による定員拡充により,誤解したまま大学院生になる学生も増えた.教育を受けるということを,教科書を読んで覚えるだけというような態度で大学院に来られても甚だ困るし,もっとも,社会はそんなに型にはまったものでもない.自分を救えるのは自分だけである.今の自分が何を考え,何をすべきか,少しは考えた上で,将来のことや,やりたいことを述べて欲しいと思う.
posted by 革新派研究者 at 00:45| 京都 ☁ | TrackBack(0) | 意見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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